ダイバースリーダーシップ推進協会 ブログ

ダイバーシティと多様性を強みに変える組織作りコンサルティング 育成のプロ集団、ダイバースリーダーシップ推進協会のブログです。

「適者」でなければ生き残れない〜学び方改革の実践

【即戦力採用では間に合わない時代】

筆者は仕事柄、採用力を強化したい(特に即戦略人材)というご要望に多く出会います。しかし、これからのビジネス環境は採用力強化は言うに及ばず、即戦力採用ですら十分と言えない時代に突入します。というよりすでに一部入っているのです。

 

皆さんご存知の通り、人材確保は幾つか方法が存在します。採用、異動、育成は言わば三種の神器ですが、それに加え昨今では、アウトソース、更にはAI、ロボットに代表される機能代替などが考えられます。

 

ただ、即戦力採用を含めいずれの選択肢も、「今そこにある危機」(=現在埋めなければならない機能や能力が見えているものへの対応)がフォーカスポイントであり、「これから遭遇する未来」(=何に備えるか?の問いをたて、充足する内容をイメージする)に備えるものではないのではないでしょうか?

 

人生100年時代となれば、キャリア(仕事人生)は長くなり、備えなければならない未来も長くなり、更に変化に富んだ時代になってきます。

 

その意味で、抜本的に人材マネジメント、特に学び方を見直す時期なのだと筆者は考えています。



【環境変化への適応力=適者生存度へ】

また今後問われる人材評価も、これまでの観点における絶対評価(TOEIC900点や、偏差値75のような)でも、相対評価(同じ企業の他のメンバーとの比較など)でもなく(但し、どちらも一部の目標としての活用は必要)、新たな概念である「適者生存度」であると考えます。

 

これまでの育成や評価は、言わば「模範解答」があって、その解答に対する充足度が問われて来ました。これはある意味日本のビジネス環境が成熟してきたことの証でもあったと思います。

 

しかし、昨今の経済情勢や技術革新、人口動態などの変化を見れば、現在は時代の大きな転換点の真っ只中で、これまでのルールや仕組みは役割を終えつつあり、「模範解答」は最早あまり意味をなさなくなってきているのは、明らかでしょう。

 

模範解答のない時代すなわち、解の前に「問い」を立て、自らその仮説の検証をしつつ実践力を上げてゆく取り組みが重要となって来ているのです。

 

従って、いわゆる絶対値は見出しにくく、相対と言っても、単にグループ内の比較や、既存競合との相対評価だけでは環境変化に対する「適者」になれない確率が上がって行きます。



【人事がすべき意識改革】

そんな中で、これからの人事に求められるのは、単に即戦力を採用することだけではなく、即戦力人材が育つ「場」の整備です。

更には、学ばせたいと考えているカリキュラムに人材を当てはめるのではなく、目の前の人材の何を引き出せばビジネス、企業、顧客のプラスになるか?を徹底的に考え抜くことです。

つまり、個々の人材をしっかりと見極め、育つに相応しい経験を積める機会を促進できる環境と、それらを適切に評価できる仕組みの構築で、言わば「学び方改革」の実践です。

 

少子高齢化人生100年構想を見据えた現在、企業としても、国としても「学び方改革」は必須であり、必要の是非を議論するステージではなく、できるだけ早く整えるステージなのだと思います。

 

その1つの解が、以前ご紹介した「リカレントエデュケーション」(循環教育)の構築で、必要不可欠な基盤となってくるのです。



【質が高く終わりのない学びの実践】

一方、自分自身が適者として生存するためには、「変化に対する適応力」を養うことです。

 

そのために我々が行うべきことは、

 

これから迎える新たな環境変化に対して「今の自分の強みはこれからも強みなのか?」という真摯な自問自答と、その検証から得られた「足らざる強み」を獲得するためにできるだけ多くの試行錯誤を実践、経験することです。

 

つまり、「質」と「場」そして「数」が決め手です。

 

その飽くなき挑戦を経る事でしか人生100年時代を生き抜く「適者」としての対応力は養われません。



学び方改革、リカレントエデュケーション(循環教育)、適者生存プログラムに関する具体的な内容について詳しくはこちらまで。

 

当ブログにおいて、段階的にDLAの循環教育プログラムをご紹介して参ります。

 

金杉リチャード康弘

 

 

 

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あなたの組織に「筋肉痛」は起きていますか?

【成長する組織 / 停滞する組織】

筆者はこれまで15年以上、コンサルタントとして様々な組織に関わらせていただきましたが、まさに十人十色、ひとつとして同じものはありませんでした。皆さんそれぞれに置かれた状況は異なっており、目指している姿も抱えている課題もそれぞれです。

 

さてその中で、もし仮に「”成長する組織”と”停滞する組織”の違いは?」と問われたとして、もちろんその答えも個々別々ではあるのですが、振り返ってみると確かにある種の共通点のようなものがあるようには感じられます。

 

大手/中小、外資/内資、民間/公共、、等、組織の成り立ちや置かれた環境・状況は異なっていても、確かに「この組織はきっと今後も伸びるな」あるいは「うーん、この組織はこのままでは正直この先も伸び悩むだろうな…」というものは感じ取ることができるものです。

 

それは例えば「”組織の筋肉痛”への姿勢の違い」というように言えるかもしれません。

 

【成長に必要な「いた気持ちいい」感覚】

運動のあと、筋肉痛になった経験はありませんか?筋肉痛は、運動が筋肉に刺激を与えて成長を促している過程で生じるものであり、筋肉痛が生じるからといって運動をやめてしまっては意味がありませんよね。

 

ある程度運動をしたことがある方ならご存知の通り、筋肉「痛」というとおり明らかな「苦痛」であるにも関わらず、それをある種「いた気持ちいい」ものとして積極的に負荷をかけにいくことこそ、成長への道であったりします。

 

あるいはそこまで過酷なイメージでなくとも、ストレッチやマッサージでも同様です。「いた気持ちいい」と感じるポイントこそ、ストレッチ・マッサージのターゲットだということは皆さんなんとなくご存知ではないでしょうか。

※もちろん、過剰な負荷が厳禁なのは運動も組織も同様です。「適切な過負荷」と「休養」のバランスこそがパフォーマンス向上の鍵です。

 

成長する組織では必ずといってよいほど、自分たちの組織の成長する方向に「敢えて負荷をかけている」という意識をもって挑戦しており、「いた気持ちいい」という感覚で課題に取り組んでいます。

反対に伸び悩んでいる組織では、課題は「誰かに与えられたもの」であり、それに「やってきたこと/できること」の範囲で対処しようとしており、端的に言ってしまえば「苦労・苦痛は極力避けたい」という姿勢が特徴的です。

 

【停滞する組織が陥っている無意識の偏見】

先ほどの、「成長する組織」と「停滞する組織」の自己認識の違いを言い換えると、次のように言えるでしょう。

(成長する組織)自分たちには「今はできないこと」がある(→将来はできるようになる

(停滞する組織)自分たちには「できること」と「できないこと」がある(→それは当分きっと変わらない

 

これまでの成功/失敗体験や、組織規模等、その原因は様々ですが、停滞する組織では、「自分たち自身」について、無意識のうちに限界を設定してしまっているのです。

そして「言っても無駄 / やっても無駄」という思いから、「せめて和を乱さない方が良かろう」「やれること/やれと言われていることだけやれば良かろう」と、空気を読んだ、同調的な、あるいは自己規制的な言動をしてしまうのです。

その結果、予定調和的な傾向はますます強くなり、異なった意見が積極的に出されることも、建設的な議論が行われることも少なくなり、この偏見はより強固なものへと固定化していきます。

まさに、運動しないことで筋力が落ち、関節がどんどん固くなっていき、さらに運動が遠のいていくという悪循環が生じるようなものです。

 

【「できない」「やるべきでない」という思い込みの怖さ】

この無意識の偏見は目に見えにくい分、非常に強固で手ごわいものとなります。

 

例えばまた違う場面として、「日本人の英語力」や「残業」といった問題をイメージしてみてください。もちろん「学習内容、実践機会」や「業務量管理」といった技術的・実務的な課題があるのですが、それに加えて「皆ができないことになっている」という中で「自分だけできる/やろうとする」ということに「和を乱す(空気を読まない奴になる)ことの気おくれ」という要素があったりするのではないか?そして実際にはそうした要素の影響は意外なほど強いのではないか?と言ったら、ご理解いただけるでしょうか。

 

こうした、「できない」「やるべきでない」という思い込みが実際に行動を制約してしまうという現象は、社会学・心理学の世界では「訓練された無能力」「学習性無力感」というテーマで研究の対象となっています。

 

更に学習性無力感の研究では、この無力感はグループ間で「伝染」することも判明しています。あるグループで無力な状態が示されると、それを見た他のグループさえも解決可能なはずの問題の解決に失敗するようになるのです。

昨今話題の「忖度」問題はまさにこの構図ですね。

 

【組織が「いた気持ちいい」感覚を維持し、取り戻すために】

ここまで運動になぞらえて語ってきたことからも明らかなように、自分たち自身に対する無意識の偏見(限界)が固着することを防ぐには、実のところ「常日頃から意識的に自分たちを変えるよう取り組んでみること」という「日々の運動・ストレッチ」が欠かせません。

 

例えば敢えて異質な存在(例えば女性や外国人)の比率を高めてみようとすることも一つの施策にはなりうるでしょう。しかし前回メルマガ「難易度最高ランクのダイバーシティ 意見の多様性に取組むには」でも触れたように、一見同じに見える「日本人」でも、意見のダイバーシティは本来あまた存在しています。

 

「違いがないはずだ」と思い込むこと自体が同調圧力の原因にもなりうることを考えると、まずは組織内に埋もれている異なる意見を引き出せるような取り組みも必要かもしれません。

 

また、「ストレッチ」というよりも「リハビリテーション」が必要なレベルであれば、組織内のメンバーだけで固着した状況に一石を投じるのは難しいかもしれず、外部の手助けが必要かもしれません。

 

いた気持ちいい負荷をかけるために、以前ご紹介した「リカレントエデュケーション(循環教育)のススメ」もご参照ください。

 

DLAでは、皆さまの組織の状況にあわせたプログラムを豊富にご用意しています。

ぜひいつでも気軽にご相談ください。

 

I.Y.

 

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難易度最高ランクのダイバーシティ 意見の多様性に取組むには

難易度最高ランクのダイバーシティとは

 

世の中一般的に、ダイバーシティという言葉で取り上げる「違い」には、性別、年齢、人種など、ある意味明白な、属性の違いが多いものです。

一方、身近にありながら、ダイバーシティとして認識されず、活かされていないことの多い多様性が、「意見のダイバーシティ」です。

意見のダイバーシティは、乗り越えるのが最も難しいダイバーシティでもあります。制度や施策といった、敢えて言うならば杓子定規的な措置は、まず適用できません。

個々人が、人間力を駆使して乗り越えていくしかないものですが、立場や主張については、「自分が正しければ、相手は間違っている」ということになりがちであり、相手を無意識にジャッジしてしまいます。

一度ジャッジしてしまうと、そこで固定観念が生まれてしまうため、違いから学び合うほど細部を吟味して聞いたりできなくなるのです。

 

この、無意識のジャッジをしないために、我々は何ができるのでしょうか?

ある企業の広告キャンペーンが、そのヒントを提供してくれます。

 

  • 話題を呼んだハイネケンのCMキャンペーン

    世界中で話題になったキャンペーンですので、ご存知の方も多いと思いますが、もしまだご覧になったことがなければ、百聞は一見にしかずですので、まずはご覧になってみてください。YouTubeで動画をご覧頂けます

所謂ネタバレというものをすると、Worlds Apart #Open Your Mind  というこのキャンペーンでは、1つの部屋に、正反対の意見を持つ人初対面の2人が集められます(例;地球温暖化を憂う人と、地球温暖化を認めない人)


2人は、お互いに、意見が違うことを知らされていません。そして、家具を一緒に作る、お互いを知るためのクイズのような質問に答え合う、といった指示が順次出され、徐々に打ち解けていきます。

会話が生まれ、弾み、お互いに厚意を持ち始めたところで、部屋のスクリーンに、自分とは違う、受け入れがたい意見を表明している相手の映像が流されます。事前に撮られていたものです。


そして、「これを観た上で、この部屋をこのまま離れるか、部屋に残って相手とビールを飲み交わしながら、会話を続けるか選んでください」という最後の指示が出されるのです。

2人はどうなるのでしょうか?結末は心を動かされるものです。是非、ご覧になってみてください。


無意識のジャッジを乗り越える意見が違うことを一度認識した後、相手との違いから学ぶことは難しいものです。

ジャッジしてしまうと、拒絶反応が先にたち、学びまでたどり着かないからです。

一方、ハイネケンの動画のように、相手にシンパシーを感じた後で、意見の違いが判明したとしても、多くの場合、拒絶反応は薄れるのです。


この動画では、ハイネケンは、2人の間にシンパシーが生まれるよう、共通のアクティビティを与えたり、お互いを知るきっかけを与えたりという工夫をしています。

これは、組織が、どんな手段を講じて、意見のダイバーシティを乗り越え、強みに変えていけるのか?を考えるヒントになりますね。

共通項を作り、相手と先につながりを感じるような工夫があっただけで、人は、学ぶ姿勢を取りやすくなるのです。

本来、意見や立場が違う相手から学べることは、そうでない相手からよりも多いものです。必ずしも、影響されて意見や立場を変えなくともよく、相手の意見を注意深く吟味し、知ることで、視点を変えて同じものを観ることができるのです。

日本企業が気づかないダイバーシティ

日本の企業の皆さんから相談を頂く中で、「社内にダイバーシティはない」「女性や外国人を採用してダイバーシティを取り入れたい」といったことをおっしゃられることが非常に多いと感じています。

しかし、本当にそうでしょうか?

属性や育ち方が違うことで、意見や視点の形成が異なることは一般的ですが、一見同じ「日本人」でも、意見のダイバーシティは本来あまた存在しています。
「違いがないはずだ」と思い込むことで同調圧力が働くことも、意見の違いが一番難しいダイバーシティである原因の1つと言えるでしょう。

まずは社内の違いを、前向きに見つけ出すことから取り組むと良いのかもしれません。

DLAでは、異なる意見を学びに変える 言うはやすし行うは難しの方法論を提供しています。

 

B.K

 

 

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