単純化の落とし穴
単純化の落とし穴
世の中が動いている。
そんな感覚をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか?
欧州における右傾化への加速など、グローバル化(多様化)とは反対に内側(移民排斥や自国を優先する純化)にベクトルが向いている動きが加速しているように思えます。
昨今の単純化の傾向について
アメリカ大統領選の双方に共通することとしてあげられるのが、
自国の利益、自国民優先という考え方のように映ります。
移民や難民によって自国民の職の機会が奪われる、税金が使われる、といった、場合によっては他責とも思える被害者意識。
イスラム教徒=テロリストのような恐怖を煽る差別化、
我が国においてもヘイトスピーチや、
特定の人々に対する差別(世の中の悪事はXXの国の人々によるものだという根拠のない誹謗中傷)など、
自分の周り(=身内)とそれ以外の集団(=よそ者)という単純化が、
紙面を賑わせたり、ネットで話題になったり、TVでも語られることが増えてきているようです。
上記の事柄は本当なのでしょうか?
ごく限られた事実はあるかもしれませんが、このような「単純化」された構造ではありませんよね。
単純化とは、言葉の通り、「込み入っている物事を単純にすること」です。
複雑な環境や事象が増えている現代において、大括りに物事を理解するという効用は期待できる行為ですが、
ともすると一面だけに焦点が当たったり、詳細だが重要な点を見落としたり、という弊害も理解しておかなければならないでしょう。
事実=真実とは限らない
昨年 2016年の暮れ、11月30日に、東京では雪が降りました。
これは11月としては実に54年ぶりの降雪で、観測史上(明治8年以降)初の積雪だそうです。
加えて、12月中も寒い日が続きました。これは紛れもない事実です。
が、これを以って「地球温暖化など起こっていない」と断言できるでしょうか?
答えはもちろんNOですね。
実際は、54年ぶりの11月の降雪も、12月の寒さも温暖化が遠因だったようです。
温暖化により北極の氷が溶けたことの影響で、寒気が一時的に日本列島まで下がった
(ラニーニャ現象*ということですが、今回のテーマと無関係なので詳細は割愛します)ということでした。
上記の例や、冒頭の単純化のエピソードからもご想像いただけると思いますが、
物事の一面を見てそれが真実だと決めつけるには、現代は複雑過ぎます。
ISのメンバーの大半はイスラム教徒であっても、
イスラム教徒全員がテロリストという乱暴な議論は成り立つはずがありません。
移民が増えたら自国民の職がなくなるという一見正しいように見える現象も、
失った職は、これまでの役割から変質が求められている、或いは、付加価値の高い役割が求められている、
という結果なのかもしれません。
異なるものを受け容れる姿勢
単純化は人類の本能のようで、
これまでの歴史においても、複雑な環境下、不安な時代には、
自分達(=正しい)と、異なった人々(=間違っている)という図式の主張と、それによる転換が、何度も繰り返されてきました。
異能、異文化、異なる視点というのは、新たな発想への窓口です。
異論・反論とは叡智を育むFood for thought(考える種)です。
世界的な閉塞感から新たな視点を持ち、多様性を楽しむイノベーションに挑戦したいですね。
DLAでは、多様性を楽しむイノベーションの生み方を、皆さんと考えていくためのサービスをご提供しています。
是非、お問い合わせください。
金杉リチャード康弘