プロの領域とピュア視点を持て(シンギュラリティ時代の人材マネジメント第1回)
【プロの領域とピュア視点を持て】
今回から拙著パートに於いて、
シンギュラリティ("技術的特異点=提唱したレイ・
しかない人間の脳の限界を、
人材マネジメントについて、シリーズで考えてみたいと思います。
因みに、間違った解釈(
「人間はAIと合体して、もっとすごくなる」という意味ですね。
その第一弾として、まず、1人の職業人、
名付けて ”プロの領域とピュアな視点を持て” が今回のテーマです。
【昔から人はツールで進化する】
ご存知の通り、太古の昔より人類は様々なツールを開発し、
色々な道具を活用して狩猟社会を形成し、
情報化社会へと。この変化はすなわち、道具、知識、
進化してきた人類の歴史の変遷そのものです。
そして次に迎えるのが、AI、
訪れるというものです。しかし、
例えば、スマホの辞書、時刻表、住所録、ナビ、
日頃あまり意識せずに活用していますが、存在しなかった時代を思
別の手段で調べていた時間を完全に省き、
これこそが、カーツワイル氏が言うところの「
【備えるべき変化は?】
では、
それを紐解くことで、
確実に起こる変化は、
情報の量が幾何級数的に増えること、
見えなかった情報が可視化(質の向上)できること、
テクノロジーの進化が細分化・専門化すること、
そして、一部で最も危惧されていることは、
これまで人の手によって行われてきた仕事のおよそ半分が、
特に、情報の量は2020年には7億倍( 西暦約2000年までの4万年間で蓄積された地球全体の情報の量
に増え、当然のことながら玉石混交の膨大な情報に晒されるように
真に必要な情報は何か?を見抜く目が必須になってきます。
加えて、ツールに取って代わられる仕事の反面、
そこには新しくより専門的な技術や知識、能力が求められることに
上記のような変化に備えるには、専門特化される技術・領域・
玉石混交な情報の取捨選択をするための、純粋な目が必要となるも
【他者の違いを受け容れるには、自分を磨く】
上記のような変化に対応するためには、想像を超える様々な知識・
最早、すべての領域での自前主義や単独での進化は現実的ではなく
これまで以上に機能横断的な取り組みや、
つまり、個人の技はしっかり身につけるが、他者に興味・
必須となるものと思います。他者の異能を理解するためには、
に対する無知の知を活かすことでピュアに判断することができるの
今後の人材はプロの能力を持ちつつ、
金杉リチャード康弘
利他主義の実践について
「利他主義の実践について」
トランプ政権発足後、矢継ぎ早に大統領令が発令された。メキシコ
TPPからの離脱、中東・北アフリカ7カ国の合衆国への入国制限
これら一連の流れは、自国優先の内向きの方向で、オバマ政権下の
明らかに異なった考え方であり、欧州の右傾化と同様に加速してい
この動きは、今の危機や問題の責任は他者(=他責)にあり、その
「排他的」な世界観と言えるでしょう。
排他とは文字通り仲間以外の者すベてを退けて受け容れないことで
世界を駆け巡る現代において、異なる視点や知恵、経験、技術を排
イノベーションは起こりにくく、中長期的な結果としては閉塞感に
今日は、他者を排除するという考え方ではなく、他者を受け容れる
「利他」について考えてみたいと思います。
【利他を重んじる教育】
皆さんは、本日のテーマである「利他」を掲げて教育を行っている
先日、APU(立命館アジア太平洋大学)の応援団のキックオフ&
総勢70名くらいの参加者だったと思いますが、半分がAPUのO
APUをもっと知ってもらうために何ができるか?をディスカッシ
冒頭、横山副学長よりご挨拶があり、その中でAPUの理念として
“異なる文化と価値観の違いを認めて理解し合い、自由で平和な世
これが、APUの目指す「自由・平和・ヒューマニティ」「国際相
(概要を咀嚼して記載)
この中で、副学長が上記を実現する上で重要な要素として強調され
利他を辞書で調べると以下のような解説になります(大辞林)。
1 他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を
2 仏語。人々に功徳・利益 (りやく) を施して救済すること。特に、阿弥陀仏の救いの働きをいう。
参加者はこの考え方を活用し、今の自分自身の利益とは直接関係が
できるようにカリキュラムを進化できるか?」を、あるいは「これ
いかにしてもっと知ってもらえるか?」を、利他の精神で議論しま
APU関係者の皆さん、OBの皆さん、そして私も含め応援団の皆
とてもAPUを愛しておられることがひしひしと伝わり、APUの
を真剣に議論する非常に刺激的な良い場でした。
(APUについてご興味のある向きは、こちらを参照されたい。h
【情けは人のためならず】
日本の有名な諺ですが、改めて意味を調べてみると、“人に親切に
やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。誤っ
の意に用いることがある。”(以上、大辞林より)
諺の通り、まず他人のことを親身になって考え、相手のためになる
新たな視点や発想を持つことができ、知識や経験が増え、志を同じ
出会うことにより、自分一人では達成できない素晴らしい成果を味
大きく成長することになる。まさに「情けは人のためならず」です
しかし、皮肉なことですが、最近のアメリカや、欧州の傾向は、ど
(=親切にするのはその人のためにならない)、更には「自国の利
【Pay it forward(=受けた恩を次に渡す)の発想】
2000年にアメリカで制作された映画のタイトルですが、内容は
「今日から世界を変えてみよう」という課題を出されます。
トレバーが考え付いた奇想天外なアイデアは、人から受けた厚意を
恩返し=“ペイ・バック”すると当事者間のみで完結して終わって
他の誰かに違う形で先贈りして善意を広げていく=“ペイ・フォワ
この“厚意”を受けた相手に返すのではなくて、次の人に別な形で
それが幾何級数的に増えるという発想です。まさに「利他」を地で
結末は予想とは異なるものですが、トレバー少年のアイディアは世
もちろん映画と現実は異なるかもしれませんが、天台宗の開祖、最
”一燈照隅 万燈照国”(=一人ひとりが自分の身近の一隅を照らす。それだけ
その一隅を照らす人が増えていき、万のあかりとなれば、国全体を
筆者が本日のテーマで申し上げたいことは、APUの例しかり、映
本気で実践すれば世界を動かす原動力と成り得るということです。
ただし、信じること、疑わず継続することが重要だと思います。
人間関係の基礎は信頼関係であり、信頼とは他者に期待するのでは
相手の信頼を得るものですね。
今日から出来る「利他」をペイ・フォワードしてみませんか。
金杉リチャード康弘
ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。
ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。
「スッキリしない”何か”」を考える
「個々人が大切にされる職場」「すべての人が働きやすい職場」、、
ダイバーシティの重要性が叫ばれて久しく、
ダイバーシティを推進する立場に指名された人も、
推進対象として指名された部門の人もまず思います。
「ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。」
…が、”何か”がモヤモヤする。
誰かが、どこかに「すっきりしない”何か”」を抱えたまま取り組みが始まる。
そして”何か”が突破できず、いまひとつ浸透していかない。。
ダイバーシティを推進されている様々な組織・立場の方々からご相談を受けることが増えてきています。
今回のメルマガではその多くに共通するお悩みについて考えてみたいと思います。
ダイバーシティにまつわる2つの誤解(もの足りなさ)
さて、ダイバーシティに関する「すっきりしない”何か”」を伺ってみると、
次の2つの点で「それも良いんですが、それだけでしたっけ?」と、「もう一歩」踏み込みたくなることが
多いようです。
(1)「ダイバーシティとは、”そうあるべきもの(義務)”である」
「職場において個々人が大切にされるべきである」「職場はすべての人に働きやすくあるべきである」
確かに一面その通りではあり、面と向かって異論を唱える人は少数派かもしれません。
法的側面でも、男女雇用機会均等法は言うに及ばず、女性活躍推進法の成立により
「①自社の女性の活躍状況の把握・課題分析、②行動計画の策定・届出、③情報公表」などを行うこと
が義務化されました。(※)
(※301人以上の労働者を雇用する事業主が対象、H28年4月1日より。厚労省リンクはこちら)
しかしこの義務感がかえって「ダイバーシティって要は女性を増やせばいいんでしょ?」といった
思考停止を生んでいませんか?
特に、自分達の組織・職場が置かれた経営環境から、具体的で・切実な「そうすべき理由」や
「実現したいこと(目的)」を語れますか?
(2)「ダイバーシティ推進とは、”対象となる誰か”の”ため”にするものである」
さて、「そうすべき理由」や「実現したいこと(目的)」を設定する際に、ぜひもう一歩踏み込んで
いただきたい点があります。
過去記事(ダイバーシティの本質は「少数派の許容」ではない)でもお伝えしましたが、
「ダイバーシティ = 少数派である異分子を多数派が許容する(多数派に同化させる)こと」、
「ダイバーシティ推進施策 = そのために、”少数派に用意してあげるもの”」と考えてしまうと、
少数派側がその能力を十分に発揮することが難しくなるばかりか、
多数派側にも「自分たちが何かを我慢・負担している」という意識が芽生えかねません。
「少数派を多数派が許容する」ではない、ということは
「多数派が少数派に合わせてあげる」ということでもありません。
議論の取り掛かりとして「女性」や「外国人」といった観点から入ること自体を否定するものでは
ありませんが、むしろそのことを通じて、「多数派(と思われていた人達)」も含めて「1人1人」
と向き合い、組織全体の新しい可能性を見出すことが重要だということです。
例えば:
- 長時間労働が望ましくないのは、また柔軟な労働時間の調整が望ましいのは特定の女性群だけでしょうか?
- 指示や責任・役割分担を具体的にしてほしいのは外国人だけでしょうか?
- 他にも、「細やかな気遣いは女性のもの?」「柔軟な発想は若い人のもの?」「日本人のニーズに気づくのは日本人?」等々、そういう傾向が見られることも仮にあるかもしれません、それだけでしょうか?それでいいんでしょうか?
(無意識の偏見をなくすにはーアンコンシャス・バイアスに打ち勝つ方法もご覧ください)
改めて、ダイバーシティとは
さてつまり、ダイバーシティとは
- 法や社会的責任等からの要求(べき論)を超えて
- 「多数派/少数派」という枠組みにも捉われず(各個人が異なるものとして等価であり)
- 個々人それぞれが異なった個性・背景をもっており
- その違いに興味を持ち、受け容れることを楽しむことで
- これまでには無い発想・考え方、物事の進め方、技術・知識を取り入れ
- 組織力の総和を最大化すること
だと言えるのではないでしょうか。
そして、ダイバーシティ推進施策とは、
(もちろん施策・制度等にはある一定の前提・枠組み・強制力といったものが附随しますが)
個々人が、その時々に、常に自分の100%が出し切れるよう調整できる、柔軟性・弾力性のあるものであることが
重要となってきます。
(働き方改革と多様性)※※12月27日配信ブログ近日掲載予定
ひとくくりの集団としてまとめられた「マス=mass」としての「みんな」ではなく、
文字通りの意味で「1人1人」と向き合うことであると気が付いてようやく
「なんとなく大切そうなので、あったらいいもの」から「腹を据えて議論・実現すべきもの」へと、
「議論すべき”何か”」があぶりだされるようになる気がしませんか?
矢嶋一郎