ダイバースリーダーシップ推進協会 ブログ

ダイバーシティと多様性を強みに変える組織作りコンサルティング 育成のプロ集団、ダイバースリーダーシップ推進協会のブログです。

ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。

ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。

 

 「スッキリしない”何か”」を考える

 

「個々人が大切にされる職場」「すべての人が働きやすい職場」、、

ダイバーシティの重要性が叫ばれて久しく、

ダイバーシティを推進する立場に指名された人も、
推進対象として指名された部門の人もまず思います。

ダイバーシティは大切だ…まあ、そうだよね。。」

…が、”何か”がモヤモヤする。

誰かが、どこかに「すっきりしない”何か”」を抱えたまま取り組みが始まる。

そして”何か”が突破できず、いまひとつ浸透していかない。。

ダイバーシティを推進されている様々な組織・立場の方々からご相談を受けることが増えてきています。

今回のメルマガではその多くに共通するお悩みについて考えてみたいと思います。



ダイバーシティにまつわる2つの誤解(もの足りなさ)

さて、ダイバーシティに関する「すっきりしない”何か”」を伺ってみると、

次の2つの点で「それも良いんですが、それだけでしたっけ?」と、「もう一歩」踏み込みたくなることが

多いようです。

(1)「ダイバーシティとは、”そうあるべきもの(義務)”である」

「職場において個々人が大切にされるべきである」「職場はすべての人に働きやすくあるべきである」

確かに一面その通りではあり、面と向かって異論を唱える人は少数派かもしれません。

法的側面でも、男女雇用機会均等法は言うに及ばず、女性活躍推進法の成立により

「①自社の女性の活躍状況の把握・課題分析、②行動計画の策定・届出、③情報公表」などを行うこと

が義務化されました。(※)

(※301人以上の労働者を雇用する事業主が対象、H28年4月1日より。厚労省リンクはこちら

しかしこの義務感がかえって「ダイバーシティって要は女性を増やせばいいんでしょ?」といった

思考停止を生んでいませんか?

特に、自分達の組織・職場が置かれた経営環境から、具体的で・切実な「そうすべき理由」や

「実現したいこと(目的)」を語れますか?

(2)「ダイバーシティ推進とは、”対象となる誰か”の”ため”にするものである」

さて、「そうすべき理由」や「実現したいこと(目的)」を設定する際に、ぜひもう一歩踏み込んで

いただきたい点があります。

過去記事(ダイバーシティの本質は「少数派の許容」ではない)でもお伝えしましたが、

ダイバーシティ = 少数派である異分子を多数派が許容する(多数派に同化させる)こと」、

ダイバーシティ推進施策 = そのために、”少数派に用意してあげるもの”」と考えてしまうと、

少数派側がその能力を十分に発揮することが難しくなるばかりか、

多数派側にも「自分たちが何かを我慢・負担している」という意識が芽生えかねません。

 

「少数派を多数派が許容する」ではない、ということは
「多数派が少数派に合わせてあげる」ということでもありません。

 

議論の取り掛かりとして「女性」や「外国人」といった観点から入ること自体を否定するものでは

ありませんが、むしろそのことを通じて、「多数派(と思われていた人達)」も含めて「1人1人」

と向き合い、組織全体の新しい可能性を見出すことが重要だということです。

 

例えば:

  • 長時間労働が望ましくないのは、また柔軟な労働時間の調整が望ましいのは特定の女性群だけでしょうか?
  • 指示や責任・役割分担を具体的にしてほしいのは外国人だけでしょうか?
  • 他にも、「細やかな気遣いは女性のもの?」「柔軟な発想は若い人のもの?」「日本人のニーズに気づくのは日本人?」等々、そういう傾向が見られることも仮にあるかもしれません、それだけでしょうか?それでいいんでしょうか?

無意識の偏見をなくすにはーアンコンシャス・バイアスに打ち勝つ方法もご覧ください)



改めて、ダイバーシティとは

さてつまり、ダイバーシティとは

  • 法や社会的責任等からの要求(べき論)を超えて
  • 「多数派/少数派」という枠組みにも捉われず(各個人が異なるものとして等価であり)
  • 個々人それぞれが異なった個性・背景をもっており
  • その違いに興味を持ち、受け容れることを楽しむことで
  • これまでには無い発想・考え方、物事の進め方、技術・知識を取り入れ
  • 組織力の総和を最大化すること

だと言えるのではないでしょうか。

 

そして、ダイバーシティ推進施策とは、
(もちろん施策・制度等にはある一定の前提・枠組み・強制力といったものが附随しますが)
個々人が、その時々に、常に自分の100%が出し切れるよう調整できる、柔軟性・弾力性のあるものであることが

重要となってきます。

(働き方改革と多様性)※※12月27日配信ブログ近日掲載予定

 

ひとくくりの集団としてまとめられた「マス=mass」としての「みんな」ではなく、
文字通りの意味で「1人1人」と向き合うことであると気が付いてようやく
「なんとなく大切そうなので、あったらいいもの」から「腹を据えて議論・実現すべきもの」へと、
「議論すべき”何か”」があぶりだされるようになる気がしませんか?

 

矢嶋一郎

均質化からの脱却(—日本柔道の挑戦)

均質化からの脱却

 

 2017年明けましておめでとうございます。

本年最初のメルマガは日本柔道界の挑戦について考えてみたいと思います。

 

 日本の国技、お家芸と言っても過言ではない、柔道。

しかし、ここ数年弱体化が進んでいました。

この経緯については、2013年にブログ記事を書いていますので、よろしければ、

2013年の拙著ブログ 「全柔連は何を間違えたのか?」 をご参照ください。

 

 柔道には、世界柔道選手権大会(1956年〜)、オリンピック(1964年〜)の2つの世界大会があります。

この2つで日本は常に世界トップの成績を残して来ました。

 特に、男子柔道では、体重別制度が導入される以前、無差別トーナメント制のみの開催だった1961年の世界選手権を除き、

2つの世界大会に於いて常にメダルの多数を勝ち取って来たのです

 しかし2011年の世界選手権では、フランスに金メダル数で負け、2012年のロンドン五輪では男子金メダルゼロという、

未曾有の結果となりました。

 当時、この結果は衝撃をもって受け止められ、メディアによって様々な検証が行われました。

監督体制の変化とコーチの削減、基礎練の量に寄った練習による選手の過度な疲労、世界の
”JUDO”やルールの変節への対応の遅れ、、

 報道記事のタイトルには「なぜか金がとれない、、、男子柔道。日本柔道の方向性は間違いないのか」文芸春秋社 Number 2012年)、

「日本柔道、ロンドン五輪『惨敗』の真相」集英社 Sportiva 2012年)など、「日本柔道」という言葉が並んでいます。
 2011年当時、正にこの言葉に現れているように、柔道の発祥国である日本では、その誇りから、「日本の」柔道はこうあるべき、

という考えがベースにあり、柔道に関わる全員がその伝統的精神を正しく理解し実践する、という、いわば「均質化」

に重きがおかれた育成が行われていたようです。

 

 ロンドン五輪後、男子柔道の監督は現在の井上康生監督にバトンタッチされ、井上監督が、様々な改革に着手しました。
この中で、DLAとして特に注目したいのは、日本柔道という大看板に於ける均質化(世界のJUDOがどうであれ、

日本柔道はこうあるべきという考え)から多様化への挑戦です。

 実際の取り組みなどを踏まえ、考えてみたいと思います。



自らを客観視する

 2012年当時メディア等で紹介された全柔連の幹部や専門家のコメントの代表的なトーンは、概ね以下のようなものでした。

 

「以前ほど勝てない理由は、ルールの改正が問題だ」
「今の選手の精神が弱いから」

「勝てない選手は日本伝統の柔道が十分に習得できていない」

 これをみると、他責や精神論が優先していたように思われます。

真の課題は、日本柔道の世界での実力・位置づけ、本質的な課題に正面から向き合えていなかったことにあったのではないでしょうか?

 

 この点に井上監督がどのように切り込んでいったか、日経ビジネス誌 2016.10.17号の編集長インタビュー「柔道を窮め、JUDOを制す」

が読み応えがありましたので、一部を参考に要約し、以下ご紹介します。 

 前提として、日本の伝統的な柔道と、世界大会・オリンピックで行われるJUDOは別の競技であること、

現代JUDOは、技術力と体力、そして勝つための戦略的な心構えが必須であること、そして、それらは、

日本柔道がそれまで大切にしてきたものと、少し観点が異なるという事実があり、それを深く理解し、

受け容れる必要があったそうです。

 

 伝統的な柔道は技術力を最も得意とし、美しい柔道・一本勝ちにこだわります。

しかし、体力については、基礎練だけで鍛えられない部分に外国人選手に比べて劣る部分があり、

心構えも、いわゆる精神論ではなく、”勝つために必要なメンタリティ”(自分と相手の実力を客観的に理解する思考性、

試合の戦略的な運び方、量ではなく意味ある練習に取り組む考え方など)に弱点がありました。これらについて、

それまでの練習では必ずしも着目されて来なかったと言います。

 

 

柔道とJUDOの違いを受け容れる

 

 そもそもJUDOとはどのようなものなのでしょうか?

世界標準としては、レスリングの一種であるCACC、ロシアのサンボ、ジョージア(旧グルジア)のチタオバ、

モンゴルのブフ(モンゴル相撲)、ブラジルのブラジリアン柔術など、様々な格闘技のルーツの複合体がJUDOであるようです。

(出典:GONG格闘技 2012 10.23 No.244)

 

 井上監督は、「我々はJUDOを目指す必要は無いが、JUDOを研究し知り、良いところを認める必要がある」といっています。

そして、JUDOのこうしたルーツと各ルーツを背景に独自のJUDOが作り上げられた経緯を、選手と共に研究したのです。
 単に、「ルールが日本選手に不利」、「逃げ回って勝負しない柔道は柔道ではない(リオ・オリンピックの100キロ超級の決勝戦)」

という考え方ではなく、違いを理解し受け容れることで、自らが取り組むべき課題が見え、その克服に対し、

どのような「意味のある取り組み方」、「練習方法」、「試合の運び方」があるのか?を徹底的に考えることが重要なのですね。

 

 事実、井上監督率いる日本柔道チームは,2013年以降の世界大会では、獲得メダル数首位を奪還、

さらに昨年のリオ・オリンピックでは7階級全てでメダルを獲得することができました



正しい問いを立てる

 「なぜ、今の選手は日本の柔道をもっと精神面も含め極めないのか?」が、
最初の問いだったとしたら、今回の復活は成し得なかったのではないでしょうか?

 それを裏付ける事実として、世界中の選手は日本に学びに来て、日本柔道を学び、各選手の特徴も研究しているそうですが、

その逆、日本の監督や選手が世界の柔道を学びに行くことは、それまで少なかったようです。
 しかし、JUDOは変遷し、各国、各選手の実力もどんどん進化していました。

 

 「なぜ、日本柔道は以前のようにメダルを取れなくなったのか?、その真の原因は何か?」という問いであったから、

井上監督はイギリスで指導者として学び、他国を知る取り組みを実践しました。

 自分の現状の実力を理解し、相手をしっかり研究し、JUDOを理解することで、今の日本選手団に足りないこと、

その差を埋める取り組み、柔道の良さをいかにJUDOへ融合させるかを具体化して行った結果なのですね。

 

 このように、物事に正しく取り組み、結果を出すためには、スタートとして、「正しい問いを立てる」

ことが非常に重要なのだと考えます。

 DLAでは、多様性最大化のアプローチとして「5A’s(ファイブ エーズ)」という方法論を開発しました。

 この方法論の中では、「正しい問いを立てる」ことを、キーとなるステップと定義しています。

新年の新しい取り組みに活用いただきたいと思います。

詳しいご紹介をご希望の方は、是非お問い合わせください。

 

金杉リチャード康弘

働き方改革と多様性

働き方改革と多様性

 

 電通事件で再び注目される過労死問題

 

2016年も暮れようとしています。

 

今年世間の耳目を集めた事件を総まくりする報道の中で、

10月にニュースとなり、記憶にも新しい、大手広告代理店 電通の過労死事件についても、

再び取り上げられることが増えているようです。

 

新入社員であった高橋まつりさんが、ちょうど1年ほど前の2015年12月25日、

クリスマスのその日に自らの命を絶った、とても痛ましい事件でした。

SNS上の彼女の手記の生々しい、苦しい肉声が多くの人の心に刺さり、

電通には今も多くの批判が集まっています。



この事件では、彼女の自死直前の残業時間が月間105時間と、「過労死ライン」とされる月間80時間を超えて

いたことがクローズアップされました。

 

その結果、ある大学教授を初め、一部の人々から「月間100時間程度で過労死とは情けない」

「自分はもっと働いている、いた」などという主観的な批評がインターネット上で物議を醸しもしています。

 

勿論、世論の大半はそうは考えず、また、電通自体も是正措置としての働き方改革を即時に打ち出しました。




労働時間削減の対策

 

その改革の中で、まず発表されたのが、夜10時に全館消灯することで深夜残業を防止する、というものでした。

 

残業を一部禁止、或いは制限する対策は、多くの企業でとられており、有効とされています。

この変形で、朝型勤務へのシフトを促す企業事例も耳にされたことがあるでしょう。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構の調査(リンク先pdf)によれば、調査対象企業の46%が

「労働時間を今後短縮していく」と答え、約20%が「朝型へのシフトを検討する」と答えたと言います。

 

この流れを受け、経済産業省も、月の最終金曜日に15時退社することを企業に促す「プレミアムフライデー」構想

を打ち出すなどしています。

 

働く人の過労が常態化するような職場環境では、思い切った労働時間の削減を、

一律トップダウンで進めていくことは重要でしょう。

しかし、それだけで全てうまくいくでしょうか? 敢えて、異なる視点で論じてみようと思います。




全体主義的な制度と個々人の多様性

 

ルールを制定し、その遵守を求めるというやり方は、ある意味全体主義的です。

 

どんなにフェアに制度設計したつもりでも、

何らかの理由でその制度に適合できない人は出てくるものですが、

ルールを形骸化させないためには、そのような人にも遵守を迫る必要が生じ、

何がしかの形で強制力をもたせた制度にする必要があるからです。

 

この点を、ダイバーシティ・多様性の観点からみた際には、

どうしても、「切り捨て」が生じてしまいます。

 

敢えて極論をあげますが、例えば、電通事件の例において、

仮に、「自分は超夜型なので、夜10時以降にこそ能率が上がる」という人がいたとしたら、

その人個人にとっては、強制消灯という措置は、マイナスにはたらくわけです。

(勿論これは例であり、深夜残業を奨励するものではありません)



このメールマガジンをお読み頂いている皆さんには申し上げるまでもないことですが、

人間の考え方・スキルは1人1人異なります。

 

労働時間・負荷の問題を、多様性の文脈で論じる際によく挙げられる議題に、

「男女の体力差による適切な労働体系のあり方」があります。

体力的に男性に劣る女性に対し、主に制度面での配慮をするというものですが、

これは、性差と体力という ごく分かりやすい差が存在するから論じられやすいのだと考えられます。

が、本質的には、男女を問わず、人間1人1人のスペックは全て異なるのではないでしょうか。

 

また、同じ1人をとってみても、状態は時により異なります。

短期的には、体調や気分により、日毎に、或いは1日の中でもパフォーマンスは異なります。

そして、少し長い目で見たときには、キャリアの時期・ライフステージ・その時々に取り組んでいる

仕事とのフィット感などでも、労働により感じる負荷や、能率は、変わっていくものなのです。



つまり、働く人が100人いたとして、100人全員が許容できないラインというものが仮にあり、

線引きをしなければならなかったとしても、個々人のラインというものは、人により、あるいは

時期により揺らぎがあって当然であり、それを視野に入れない制度・対策はうまくいかないので

はないでしょうか。



多様性を踏まえた制度運用

 

個々人の多様性を視野に入れた制度は理想です。

 

そこをゴールに置くとしても、現在進行形の課題が目前にある状態では、段階を踏む必要があります。

まずは現状を是正する制度を作り、組織のポリシーを明確にし、一旦 一律でリスクを軽減することは

重要であり、有効でしょう。

 

長時間労働の問題でも、日本においては、全体主義的に対策を講じなくてはならないレベルの組織が

多く存在しているのは事実です。

 

その先に、多様性を踏まえたもう一歩を考えるにあたっては、個々人が、その時々に、

常に自分の100%が出し切れるよう、働き方を調整できる、柔軟性・弾力性のある制度が

必要になってくるのだと考えます。

 

そして、制度設計はゴールではありません。

 

働き方改革において、個々人が、各々「考えて」行動する必要がある柔軟な制度を成功させるには、
組織全体で取り組まねばならない要素が2つあります。


  1. 個々人が自分を知ること
    自分がどのような状態でパフォーマンスを発揮できるのか?常に自問自答し、人に伝えられるようになること

    2. 会社・組織が、個々人が仲間に興味をもち、常にコミュニケーションを取り合う状態を実現すること

個々人が各々の努力のみで踏ん張るのではなく、個々の違いを前提に、チームパフォーマンスが安定・向上するよう、

組織と上長が目を配ること

 

ダイバースリーダーシップ推進協会では、この2つを実現し、働き方改革を成功に導くためのメソッドを

開発・提供しています。

 

労働時間の是正をそれだけに止めず、パフォーマンスの向上につながる働き方改革を実現したい企業・組織

のみなさま、是非 お気軽にご相談ください。

 

B.K